由来

浅田宗伯の生家・浅田家の診療所

現在クリニックがある場所は、江戸末期から明治にかけて国医として名を馳せた浅田宗伯生誕の地であり、また宗伯の祖父東斎や父済庵が医業を成した地でもあります。同地で再び医業を成すことを記念して、浅田記念クリニックと名付けました。

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1800年頃の診療所

浅田宗伯の略歴

 

文化12年(1815年)
信濃国筑摩郡栗林村(現在の長野県松本市島立北栗)に生まれる
文久元年(1866年)
江戸幕府14代将軍徳川家茂の御見目を許される
慶応2年(1866年)
徳川将軍家の典医となる
明治8年(1876年)
明治政府宮内省侍医を拝命する
明治27年(1894年)
80年の生涯を終える

「浅田飴」のルーツとなる処方を考案したことでも知られています。

大正5年当時の松本市大手の写真(提供:岡野薬品株式会社様)